2025-09-08
元々"Obsidianでプライベートな分報を運用する"で書き始めたものを、最近は社内に公開している。
プライベートな分報を書くこと自体は今年の始めからずっと続けていて、自分の作業や思考を進めるために有効なものだと捉えている。人に見せなくても良いのだが、なんとなく「仕事してるよ」をお知らせすると良いかもなと思って公開し始めた。公開するのは1日の終わりの1回だけで、あまり周囲の注意を妨げていないと思う。
やってみて思ったのは、「仕事してるよ」をお知らせすることには周囲にも自分にもそれなりに意味がありそうだということ。
仕事にはある程度の期待がかかるが、それに対して分単位で書かれた日報は細かい粒度で情報を提供する。つまり、細かい粒度で仕事を伝える材料がある。仕事が近い人は、この材料を使ってプロセスを把握したり、作業や思考にフィードバックできる。遠い人は「アイツはやってるんだな」くらいの認識ができる。
こうした小さな認知の積み重ねは、長期的には組織の仕事のやり方を形づくるものになるのではないかと思う。人の仕事のやり方はポジションの定義から始まり、成果や計画の合意が続くが、「周囲がどう動いているか?」も多くのことを埋めている気がする。なので、自分の仕事を認知してもらう材料を毎日細かく提供することは、組織の形づくりに貢献するものかも知れない。
思い返せば、みんな揃ってオフィスにいた頃はこういった情報は自然とある程度入ってきた気がする。この点は世間のオフィス回帰の一因にもなってるのかも知れないが、工夫や文化で補える点でもあると思う(オフィス回帰には他の意味もあると思うが)。
自分には怠け者の側面があるのだが、毎日の取り組みを公開することはこの側面を抑えることに役立っている。なにしろ分単位で書いてるので、空白の時間があればわかるし、1日何もしてなかったら公開するものがなくなってしまう。散歩しても昼寝しても良いと思うが、1日の終わりには周囲に説明がつく状況にはしないといけないという抑止力が自分の場合にはちょうど良い。
それと、メンタルにも良い影響を与えている。毎日2~4ページ分のログが実績として見えるので、「今日もやったな!」という気持ちになれる。本当にそれでいいのかはさておき、気分は良い。